

生活していますか、 @SHARP_JP です。先日、さほど明確な目的もないまま、「死ぬほど嫌いな家事を教えてください」というツイートをしたところ、たいへんな反響があった。これである。
なんとなく今後の参考にするので、死ぬほど嫌いな家事をおしえてください。私はアイロンです。
— SHARP シャープ株式会社 (@SHARP_JP) October 18, 2022
どこかのだれかが死ぬほど嫌いな家事を表明してくれたリプライは1万5千件を超え、ツイートには1万RTと8万のいいねがついた。もちろん好意的な反応ばかりではない。「死ぬほど」などという品のない、乱暴な言葉を使うのは、企業アカウントとしていかがなものか、なるお声も内外からいただいた。「いやいやその部分こそ、まがりなりにも言葉を選ぶ職業を営んできた、私の本領発揮でしょうが」と言いたい気持ちをグッとこらえて、反省したふりをしていた。でもこらえきれず、いま言ってしまった。
ただやっぱりあそこは、「めちゃくちゃ嫌い」でも「いちばん嫌い」でもなく、「死ぬほど嫌い」でなければならなかったと確信している。そうでなければ、それぞれがそれぞれの毎日に、うっすらと抱える家事のしんどさややるせなさに到達できなかったと思う。もちろんもっと正しくて、もっと優れた言葉はあったかもしれない。しかし人に届くか届かないかという意味において、もっと機能しない言葉はもっともっとある。死ぬほどあるのだ。
ネットで話題になるとテレビのニュース番組で取り上げられるのが常なので、このツイートについても、いくつものテレビ局や新聞の人から取材がやってきた。だいたいどこも似た質問で、しかし意外だったのは、嫌いな家事を集計したランキングを教えてほしいと軒並み言われることだった。同じ要望は社内からもあった。
もともと私はこのツイートで、嫌われる家事を順位付けする意図は持ち合わせていなかった。私も死ぬほど嫌いな家事を吐露するから、みんなもそれぞれ、嫌いな家事を告白してほしい。ただ私は、みんなのしんどさを自分のしんどさと並列して眺めたかっただけなのだ。だから私は、当然集計して声が多かった順に並べるんでしょう?と言われて戸惑ってしまった。
もちろん私が勤めるのは家電メーカーなので、社内のだれかが寄せられた声のどれかにピンときて、製品開発のヒントになればいいなとは考えていた。だがそれにしたって、ランキングの上位から順にアイデアやビジネスの可能性が多く含まれるわけではない。そしてたぶん、そんなやり方だと失敗する。人の気持ちを集計する意義を、私はいまだに感じることができないでいる。
しかし、しんどさを集計する意義が見出せない理由はうっすらと把握できるようになった。そもそも家事のしんどさは、それぞれ固有の事情を抱えて、個人の身内にひっそりと積み重なっていく。家の中が外から窺い知れないように、家事を担う人のしんどさも見えることはない。言葉を強めて言えば、現代の地獄はそれぞれが地獄を抱えるかたちで、地獄が無数に存在するのだろう。だから私は、地獄の集計に意義を見出せないのだ。
そしてもうひとつ。たぶん人間は生きている限り、炊事洗濯掃除にまつわる家事が消滅することはないのでしょう。家電は家事を低減させることはできても、家事をなくすことはできない。ならば、家事を担うしんどさをやわらげることこそが、次にできることではないか。しんどいことをしんどいと吐露できるような、機会を提供してみることが、おそらくあのツイートをする時に、私が考えていたことなのだと思う。
ふりかえりまんが(花霞ぼたん 著)
とにかく私は、アイロンと洗濯物をたたむのが死ぬほど嫌いだ。だからこのマンガに激しく同意する。アイロンをかけている最中に、その服が着られシワがつく様子が目に浮かぶ。乾いた洗濯物をたたむ最中に、それを着る時にバサッとひろげられる行動が頭を過ぎる。原因と結果がすでに逆転しているのだ。
家事には、エントロピーの増大を抑えるそばから、エントロピーが崩壊する様を眺めるようなところがある。不可逆の法則を全員が不可逆と知りながら、そのうちのだれかがしぶしぶ時間をやりくりして、不可逆の速度を少しでも遅くするのだろう。その人に蓄積されるのは徒労感であり、無常観だ。そこから立ち上がるのは「でもやるんだよ」の気持ちしかない。
きょうもどこかで家事を担う人。おつかれさま。家事を担うすべての人に、幸あれ。
