腰が痛い。ゆえに腰が重い。 @SHARP_JP です。ずっと(ほぼ)ひとりで仕事を続けてきた。フリーランスや職人の方からすると「なにをいまさら」と言われるかもしれない。ひとりをどこまで厳密に定義するかは難しいけれど、ひとりで考え、決めて、世に出す、を自分の仕事として繰り返しているという意味において、私はひとりで仕事を続けている。その仕事のあり方は、たくさんの部署が細かく分けられ、上司が数珠つなぎに居並ぶ、比較的大きな会社ではそうとうめずらしいと言える。
そういうめずらしい仕事のやり方を、私は自分で積極的に選んだわけでもないし、会社から強制されたわけでもない。だからひとりで仕事をすることに対して、満足も不満もない。もちろん目の前に現れる個々の仕事にいっしょうけんめい取り組んできた自負はあるけれど、仕事のやり方そのものには「なるべくしてなった」という、平熱な諦めのようなものがある。
ただしものめずらしさのせいか、会社の内でも外でも「お前がいなくなったらその仕事どうすんの」とよく聞かれる。ほんとうによく聞かれるから、私は瞬時に質問へ込められた、企業が担保すべきサービスの持続可能性を心配する正義と、組織の中で勝手気ままに仕事してんじゃねえというやっかみの配分がわかるようになった。
配分がわかったところでこちらも「なるべくしてなった」としか言えないので、「まあそうなりますよね」とかなんとか、あいまいに俯くしかない。だがその質問のたびに、私の中でなにかが少しずつ削られていく。そのなにかが、さいきんようやくわかってきた。つまり「お前がいなくなったら」は「お前の代わりはいくらでもいる」ということなのだ。私がいる場所は、私が私であるオリジナリティを求められながら、同時に私は私でなくともよいのっぺりした生産性が課せられる、なかなか残酷な場所だったのだ。
たぶん私は思っている以上に「余人をもって代えがたい」が仕事のモチベーションになる人間なのだろう。いささか青臭いとは自分でも感じつつ、私は私にしかできない仕事を通して、どこかのだれかに「あなたでないとだめ」と思われたい。だから私以外の人間が代入可能なら、もとよりその仕事は私がやるべきものではなかったとすら考えるふしがあった。
いまもその考えは半分間違っていて、半分は正解だと思っている。そしてひとりで仕事をしてきた人にとっては、ふたたび「なにをいまさら」と言われる問題だとも思っている。
マッチ・ミー!(新川ネリ 著)
余人をもって代えがたいは、恋愛においても問題だ。私とあなたの間に「あなたでないとだめ」が成立するか否かは、太古から至上の命題だったと言える。このマンガでも、恋愛における「あなたの余人をもって代えがたさ」がていねいに描かれている。
当たり前だが、あなたでないとだめと決めるのはあなたではない。あなたがいくら「私でないとだめ」と思ってほしいと願おうとも、それを決めるのは相手だ。努力する人をおいてきぼりに、評価がどこまでも相手に委ねられてしまうのは、どこか仕事と似ているのかもしれない。
ましてやマッチングアプリである。いま恋愛をする人たちは、圧倒的に選べるのだ。ほぼ無限と感じられるほどに「次の人がいる」が可視化される中、あなたに「私でないとだめ」と思ってもらうことほど、難しいことはないと思う。恋愛の可能性が飛躍的に上がったとたん、私たちはお互いの余人をもって代えがたさが成立しづらくなったのは、なんとも皮肉なことではないか。結局のところ仕事も恋愛も、私たちは残酷な方向へ突き進んでいるのかもしれない。そう考えるとなんだかいろいろ、この先が心配になってくる。
もっと作品を描いてもらえるよう作者を応援しよう!