

料理ができます、と言っていい程には料理ができます、 @SHARP_JP です。別に調べたわけでもないし、ほとんどは自分の経験からの観測だけど、料理は独学だ。みんなそれぞれが家で行なっている料理は、みんなそれぞれの独学に基づいている。料理というより自炊といった方が、ここでは正確だろう。
さあ自炊をはじめるかと思って料理教室に通う人はいないし、義務教育で習った家庭科が自炊のきっかけという人も見たことがない。かろうじて「母親に教えてもらった」はあるかもしれないが、その場合も手取り足取り指南を受けたというより、料理をしている姿を見ていたことが、できる理由ではないか。
ほとんどの自炊は必要に迫られて開始され、たいていは独学によって進められる。言い切る自信がないから歯切れが悪くなったけど、しかし思い出してほしい。経済的な理由であれ、恋愛あるいは子育て的な理由であれ、あなたの自炊スキルは「私がやらねば」というやむをえない事情から培われたのではなかったか。
少なくとも私はそうだ。だから私の料理は独学である。そして独学ゆえにバランスが悪い。私がする料理は、どこか歪だ。たとえば私は揚げ物をしない。しないというか、揚げるというプロセスが、いまだにこわい。こわいから、レシピを検索する時だって揚げ物を除外し、フライが不在のまま、私は料理の腕を上げていく。
その独学ゆえの歪さが繰り返しふるまわれることで家庭の味に行き着くのかなとぼんやり感じているのだが、さしあたりいま私が考えているのはそこではない。先日ハンドブレンダーを買ったのだ。そして私は、ハンドブレンダーすごくない?と言いたいのだ。
ハンドブレンダーは私の独学料理に風穴をあけた。自分に最適化するあまり、凝り固まった私のレパートリーに、まぜる・つぶす・なめらかにするという行為がもたらされのだ。ツールがかくもあざやかに独学の閉鎖性を打ち破るとは、調理家電の存在意義はこういうことなんだろうな、と思ったのだった。今また、料理がたのしい。
夫と豆腐メンタル(たぬ£ 著)
やわやわなメンタルに悩む、マンガの夫さんにはたいへん心苦しいのだが、私は叩き続けられてトロトロになった豆腐のコマを見て、唐突にハンドブレンダーを思い出したのだった。
絹ごし豆腐のようなメンタルも、長年少しずつ鍛えれば木綿程度には硬くなるのではないか。そう思っていたら、実はひたすら潰れるだけで、液状化してしまったという話である。もっともだと思う。メンタルはかくも繊細だし、鍛えるなんて至難の技なのだ。
しかしハンドブレンダーを手にした私は、こうも思うのである。なめらかと言えるまでに姿を変えたトロトロは、それはもう別のメンタルなのではないか。ハンドブレンダーで「食材をトロトロにする」ことが、私の凝り固まった独学に新たな選択肢をもたらしたように、トロトロのメンタルは新たな地平なのだ。だからマンガの夫さんも、離乳食化したメンタルはメンタルの進化形だと思って、がんばってほしい。
なんだか撹乱した話をしてしまったのは、自分でもわかっている。申し訳ない。

もっと作品を描いてもらえるよう作者を応援しよう!