コルクBooksに集うマンガ家のみなさん、読者のみなさん、こんにちは。 シャープのツイッターアカウントを運営している者です。ツイッターではシャープさんと呼ばれることが多いです。 ほんの数ヶ月前、コルクBookで投稿されたマンガの中に、シャープの空気清浄機を見かけたことをきっかけに、トキワ荘2.0を標榜するこちらへお邪魔するようになりました。 その後、 #自分で初めて買った家電 や #家電のトリセツマンガ といったお題を出し、マンガをじっくり読み、あれこれ思ったことを呟いてたら、なんだかとても楽しいことに気づいたのです。私が。
そこで厚かましくもコルクBooksの中の人に頼みこみ、毎週マンガを読んでその作品を推すコーナーを作ってもらいました。 ど素人極まりない私が恐る恐るマンガを寸評しながら、いつかトキワ荘近所にあったラーメン屋さん(名前は松葉でしたっけ)のように、トキワ荘で励むマンガ家さんにとって、 日々のささやかなモチベーションになれたら、と考えています。
それでは恐れ入ります。 1回目。 #家電のトリセツマンガ でずっと気になっていた作品です。
(今回の寸評)「マッチョ先輩と可愛い後輩3」(ワダシノブ 著)
ここ10年くらいですっかり定着した言葉に「フラグ」があると思うのですが、いまやあらゆるコンテンツにフラグが立ちまくる時代。 受け手が勝手に認定するフラグも含めたら、この世もあの世もフラグだらけです。 では「フラグ」というワードがなかった頃はどうだったのか、うんと思い出してみると、たぶん符号とか伏線とか言って、作者のサインをわれわれなりに受信しようとしていた気がする。
だけどフラグと符号は、どこか少しちがう。 フラグは「フラグが立った」というように、明らかに目印として、受け手へ過不足なくその後のストーリー分岐を暗示する。 一方、符号や伏線はもう少し抽象的な、そう物語の気配といったものまでを、作者と受け手が共有していたように思います。
「マッチョ先輩とかわいい後輩」の空気清浄機を掃除するお話は、あの符号とか伏線と言ってた頃の「気配」に満ちていると私は思うのです。 2人の間に余白があって、関係性の変化を点で区切れない感じ。ピコンと音が鳴り旗が立つにはあまりに微かに密やかすぎて、その空気のゆらぎをじっと味わうだけ。 フィルターを掃除する手順ひとつひとつに気配だけが満ち(しかも手順はすべてトリセツ的に正しい)、そしてお話は終わる。 その余韻はもはやフェティッシュな感情として、私の中に居座るのです。 くれぐれもよろしいですか、これはトリセツの話だぞ。
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