

書いてます、 @SHARP_JP です。もう10年以上、ずっと書いている。書くのが仕事である。書くのが仕事と書くと、私がプロの物書きだと暗に主張しているようで、おこがましい気持ちが湧いてくる。だから仕事というより業務といった方がしっくりくるだろう。私は会社から与えられた業務として、大量の文章を書き続けている。
さっき私が運営する公式アカウントの累計ツイート数を見たら、ざっと18.5万と表示された。かつて「つぶやく」と表された行為が、「書く」という範疇に入るかはともかく、私はその18.5万のほぼすべてのテキストをひとりで打ち込んできた。
10年ほぼ毎日、ずっと何かを書いている人はそう珍しくない。ブログやnoteを欠かさず続ける方もいるだろうし、古参のツイッターユーザーなら、10年毎日などいまさら言うべきかと感じる人もたくさんなはずだ。私も10年以上書き続けることがめずらしいとは思わない。描くや歌うと同様に、書くが日常の営為となる種類の人はたしかにいる。
ただし私の場合、業務として書き続けるという意味で、少しめずらしいケースなのではないかと思う。内在的な自発として書くわけでもなく、受注からはじまるプロの納品として書くわけでもなく、ましてや直接的に糊口をしのぐために書くわけでもない。ただ「業務だから」という、きわめて中途半端なモチベーションのまま、ここまで書き続けてしまった。
もちろん私の書く行為は月給として、間接的に私の生業になる。だからプロといえばプロだし、そこには私なりの義務と責任感はある。しかし仕事と業務の間には能動と受動の線引きがあるように、私の書くという行為はいつも、やりたい感とやらされ感が入り混じった、あいまいな領域を漂っている。
その状態が何に近いかと考えてみれば、コピーライターかなと思う。しかし私の業務がはたして広告として成立しているのかという点において、歴戦のコピーライターの方からは「バカ言うな」とバッサリ切られる気もする。いずれにしろ私は業務上物書きとして、おそらく会社の中でもめずらしいポジションに、もう長らく居着いている。
かっこいいセリフ(田田 田田 著)
会社で業務上物書きを続けているとどうなったか。このマンガを読んでふと思い出した。私は「それっぽいこと」をスラスラ書けるようになった。重いメールの返事も重大っぽくスイスイ書けるし、謝罪文や始末書も息をするように書ける。会議や打ち合わせのコメントだって、なんか言ってるっぽいことをなんも考えずに書けるようになった。ツイートも同様である。
たぶん私は、さまざまな場面での業務上書きものにおいて、必要な「それっぽい語彙や言い回し」を、業務上着々と獲得していったのだろう。それをスキルと言うと聞こえはいいけど、あくまで業務上の便利能力だ。どうも胸を張る気が起きない。
長く書いてきたからわかる。それっぽい文章はそれっぽい文章でしかないのだ。私がそれっぽく書く文章は、私が私のために書いた文章に限りなく近づくことはできても、それに置き換わることはない。だから私の書く限界を越えるには、業務を仕事に変える必要があるのだろう。なんだそんなことかと、プロの仕事をする人たちからは鼻で笑われそうな話ではあるけど、業務の手癖は本人にとって、なかなか頑固な存在なのだ。

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