

権力とは無縁に生きてきました、 @SHARP_JP です。「力が…欲しいか…」というのは有名なマンガのセリフだけど、それに続く「力が欲しい!!」を実際に叫びたくなることは、だれしも2度や3度ではないと思う。とくに「上がアレでして」と頭を下げたり、上から頭を押さえつけられるような会社生活を送っていると、心の底から力を希求したくなる。問題は、力を授ける存在がいっこうに現れないことなのだが。
私も渾身の企画が理解を得られなかったり、あるいはまったく理不尽な理由でアイデアや行動が制限されることがあると、心底「力が欲しい!!」と咆哮したくなる。実際に「力が欲しい」とツイートしたこともある。もちろんそれで、私に力が授けられることはないし、どちらかというと「いかがなものか」といった小言を授かるだけだ。
この場合の「力」とは、具体的に言うと権力とか予算とかを指すのだろう。権力なんて上には上がある。ピラミッドでいうところの頂点に立たない限り、ずっと上が存在することを考えれば、権力を望むなんてことは、よほど長生きを前提とした気の長い話に思える。予算だって結局のところ、自分の懐に入るカネではない。自分のものではないカネにこだわるのも、だんだん詮ないことに思えてくる。
働いている時。口から振り絞るように「力が欲しい!!」という憤怒なセリフが出そうになったら、その欲しい力は具体的になんなのかを考えると、案外「それほど欲しくもないか」と収められるのかもしれない。それにもまして、力を授けられる物語はたいてい、その力の暴走を招き、本人や周囲を苦しめるものだ。その物語の類型は人類の教訓であり、共感でもあるのだろう。
ぽんすけ成長日記 第90話(ひとり 著)
一方で「力が欲しい!!」の力が、人間関係や象徴に依存するものではない、身体的な強さを指す場合もある。このマンガでぽんすけという女の子が真剣に欲しいと願うのは、パンチやキックなど、もっとフィジカルで、筋力に依存した力だ。
たとえばもし私が子どもの頃から、背が高かったり、運動能力が他人よりどこかひとつでも優れたものがあったなら、たぶん私はいまとはまったく異なる人格を育んできたと思う。似ても似つかぬ性格になったにちがいない。それほど「強くない」という認識は、深く自分を形作る素地になっている気がする。自分が強くないという意識(このマンガでは「力がないと何にもできないんだよ!!」という危機感)は、思った以上に私が私である前提なのだ。だから「力が欲しい!!」の力が筋力に依存した力なら、私は今も欲しい。腰が痛い私は切実に筋力が欲しい。権力はいらんけど。

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