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シャープさんさんの作品:うっせえわ

自分のことはすぐ棚に上げる、@SHARP_JP です。だれに言うともないことなのでここで言いますが、私はおじさんがどれほどおじさんかを測るバロメーターを持っている。それなりに会社勤めをしてきて、私が会得した数少ないスキルだ。


咳。くしゃみ。咳払い。あくび。その音こそがバロメーター。大きければ大きいほど、おじさんはおじさんなのである。思い出してみてほしい。すわ威嚇と身構えてしまう破れたくしゃみ。ここは無人の銭湯かと錯覚する巨大なあくび。世界の中心で自我を叫ぶかのような咳払い。職場で、電車で、お店で、おじさんが発する大きな音に驚いた経験は、みなさんも少なからずあるだろう。


もちろんすべてのおじさんが、顔から発する生理音が大きいわけではない。控えめな人だっている。おじさんでないのに、音が大きい人もいる。だから、くしゃみや咳払いの大きさはおじさん度に比例するというバロメーターは、多分に私のおじさんへの偏見と、自分がおじさんになろうとする嫌悪が入り混じっているのだと思う。


とにかく私は、周囲を萎縮させるような、人間が無自覚に発する音が苦手だ。これが楽器を巨大な音で奏でるとか、なんらかの感情を乗せて喉を枯らさんばかりに声を出すとかなら、さほど苦にならない。なにか意思をもって発する、あるいは周囲への影響を自覚して出される大きな音はいいのである。


しかし必要以上に大きなくしゃみや咳払いに、私はどうしても無意識下へ組み込まれた攻撃性を見出してしまう。それはおじさん特有の横暴さ、傲慢さやマウンティングに感じられて、私はそうなりたくないという気持ちに満ちていくのである。つまりはお察しのとおり、おじさんへと突き進む自分への戒めを含んでいるのだ。


ただし最近はすっかり状況が変わってしまった。くしゃみや咳にのっぴきならない意味が付加される世の中になり、おじさんが発するそれのボリュームもずいぶん小さくなっていないか。ほんとうの意味で、くしゃみや咳が攻撃性を帯びてしまい、無自覚に過剰なくしゃみや咳は、さすがにもう聞こえてこなくなった。



仕事を辞めたいだけなのに 第15話(飛鳥時代 著)


咳払いやくしゃみはともかく、生活の中で立てる音がいちいちうるさい人はいる。パソコンのキータッチ音問題の例を挙げるまでもなく、モノになにか恨みでもあるのかと思うくらい、大きな音を立てる人がいる。あれはいったいなんなのだろうか。なにか言外のサインをけたたましく発しているのだろうか。


漫画で描かれるのは、とある美容師さんがいちいちたてる音のうるささである。音をたてる人は不機嫌な表情をしているから、イライラを抱えているのだろう。つまり大きな生活音は「私はストレスフルだ」というサインなのだ。


もちろんストレスを解消しようとするのは、人間の自然な行動である。別にかまわない。だがそこに「周囲への影響を顧みない」横暴な客観性の欠如が感じられると、今度は周囲がイラつくのだ。漫画では「うっせえわ」と、いまやだれもがパワフルな声で脳内再生できるセリフでもって一刀両断される。


言うまでもなく作者は実際にそう叫んだわけではない。社会性と客観性を持ち合わせた人はそんなことはしない。静かにストレスを抱えこむだけだ。だけど漫画はサイレントな表現手段である。いくらでも大きな音を無音で描くことができる。漫画の中だけは、うるさい生活音より何倍も大きな声でつっこめるのだ。静かに痛快であることは、漫画の特権だろう。よくぞ描いてくれた。いまの私は、少しスッキリしている。


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2021/5/13 コミチ オリジナル
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