

連続する自我です、 @SHARP_JP です。明日のオレにすべてを託して眠る夜がある。そして明日のオレがなんとかしてくれる勝率はよくて五分五分といったところか。週明けのオレにすべてを託す金曜日も何度くぐり抜けてきたことだろう。
考えることと締め切りにあふれるのは、なにも仕事をしている人だけではない。目の前にあるやらなきゃいけないことに追われ、考えたり思いつかなきゃいけないことはどんどん先送りされる。睡眠とアイデアは、その関係にあるのではないか。
それにしたって私は、つい自分を先送りにする。やらなきゃいけない自分を未来へ未来へコツコツ送る、自分送りバントの名手だ。もちろん未来の自分へ先送りするかわりに、現在の自分は刻々とアウトになっていくから、犠牲バントの名手ともいえるだろう。
「明日できることは今日するな」はトルコのことわざらしいけど、トルコの外から私もうなずきたい。中島らもの名訓「今日できることは明日やれ」にはどうしても共感してしまうし、そして私は怒られたり迷惑をかけたりする。
仕事は段取りが8割とか言う人に返す言葉はないけれど、やっぱりいまだに私は、自分がどう考え、なにを思いつくかについては、決して段取りできない。きちんと仕事をこなす人を尊敬しつつも、私は眉間にしわを寄せて仕事しているふりをしながら、できない自分をただ、これからできる自分へ託し続けている。
もちろん託して先送りする間隔は、締め切りが近づくにつれて短くなっていく。託す自分は1週間後の自分から3日後の自分へ、明日の自分へ、翌朝の自分へ、30分後の自分へ。あげくのはてには、プレゼンや打ち合わせ中の、数瞬後の自分にすべてを託すことがある。
そうやって私は毎度、焦燥するのだけれど、せめてもの救いは自分送りバントが報われる時がたしかにあること、そうやって脂汗かきながら未来の自分へ託す人が身の回りに案外たくさんいることである。明日の自分に託して今日を力尽きる人は、私だけではない。
未来からの俺(土田えり 著)
そして一方で、つい未来の自分にすべてを託してしまうわれわれは、託した自分がまたその先の自分に未来を託してしまうことも知っている。託した先もしょせんは自分なのだから、いまの自分がだらしなければ、未来の自分も例外なくだらしがない。
このマンガのように、私たちは明日の自分にすべてを託しても、ただめんどくさいという理由で、明日も同じ服を来ていたりするのだろう。きょうの自分もあしたの自分も地続きなのだ。
ところで「今日できることを明日に延ばすな」という格言がある。100ドル紙幣に描かれるアメリカの政治家の言葉だ。おっしゃるとおりだと思う。おっしゃるとおりなんだけど、私とはたぶん気が合わない。私は自分を送るバントの名手だし、いまの自分を犠牲にしてでも、未来の自分を送るバントをする人の方が好きだ。

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