

おつかれさまです、@SHARP_JP です。ありがたいことにというか、光栄なことにというか、自分の仕事を人前で語る機会を与えられることがある。たいていは広告とかマーケティングとか、あるいは企業の広報とかSNSを担当する人に向けて話す場合が多い。つまりは同業者に向けた講演である。
同業者に向けた講演だから必然的に「仕事のコツ」のような話が求められる。だが困ったことに私は場当たり的な人間ゆえ、コツといったものがつかめないまま長らく仕事を続けてしまった。場当たり人間は演繹も帰納もしないから、けっきょく私の話は具体性を欠き、抽象性に富む。
かんたんに言うと、私の話は確かに企業がツイッターをする話ではあるのだが、運営のノウハウであったり、拡散されるテクニックといった「方法の話」は出てこない。その代わり、ツイッターの中で毎日ゆらゆら漂うための姿勢とか、企業と人格の黄昏みたいな、どうにもパワポのスライドにしにくい話で占められる。
その結果、たびたび講演では話す側と聞く側のアンマッチが起こる。私が話し終わると会場はすんとする。そんな話が聞きたいわけではなかったという声なき声が聞こえてきて、私はいたたまれない気持ちになる。しかし私もそんな話しかできないのだ。貴重な時間を宙吊りにさせてしまったことは申し訳ないけど、ウソを言うわけにもいかない。そもそも私はテクニックや方法よりも、姿勢や間合いを体得する方がずっと問題に対処できる近道だと思っているのだ。
生きるのってしんどくないすか(あまいろ 著)
繰り返すけど、私の仕事の話はぼんやりしている。言葉づかいや投稿の頻度といった、ツイートがバズるコツなど一切語られない。だけど私は、私が信じるもっと大事なことを語っている。そのひとつが、このマンガと重なる。
「生きるのはしんどい」
その空気というか諦念をまず引き受けるのだ。それを前提にして言葉を紡ぐことこそが、読まれるべきツイートになる出発点だと私は考えている。その上でこのマンガの高橋さんのように「そんなの当たり前じゃない」と柔らかくふるまうことが、ツイートという仕事が長続きする「コツ」だと思うのである。
だがそんな話はたいてい、私が自分の仕事を語る場では響かない。ただただ会場はすんという擬音が響くばかりだ。それは私が思うほど社会は暗くないのかもしれないし、私と同業の人たちが社会のしんどさから分断されているせいかもしれない。もし後者が理由なら、私はひそかに暗澹たる気持ちになる。

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