

金で買えないものはあるけど金もほしい、 @SHARP_JP です。「お客様は神様です」が本来の意味とは異なった使われ方で社会に定着してしまった、という記事を目にした。1961年のステージで発せられた三波春夫の言葉が、いつのまにか違う意味にすり替わり世間へ流布する様子を、そばで見ていた三波春夫さんの娘さんが語ったものである。
当時ご本人から発せられた「お客様は神様です」は、「お客様を神様とみて、神前で祈る時のような気持ちで歌を捧げるべき」という、ご自身の芸への敬虔な心がけを述べられたそうだ。そのセリフが漫才で引用されたり、その言葉が書かれた色紙が商店に飾られるうちに、「お客様は神様です」は「お客様を大切に思って仕事しよう」と、商売する側の標語になっていった。
しかし三波春夫さんの死後、「お客様は神様です」はさらに独り歩きし、いつしか「お客様は神様なのだから、何をされても我慢すべき」と、お客の側が自身の立場を強弁する言葉へと反転してしまった。おそらく現在の私たちが「お客様は神様です」から汲み取るのはこのニュアンスだろう。
カスタマーこそが至高だと、カスタマーが宣言したのだ。だからこそ近年ではさらに反転して、「お客様は神様ではない」という言葉がモノやサービスを提供する側から出てきた。行きすぎたお客さんの言動により商売する側が疲弊してしまう風潮が、今度はカスハラという語として独り歩きしはじめた頃だと思う。
お客さんと対面で接客せざるをえない、あるいは電話越しに応答せざるをえない仕事の人とはくらべるべくもないが、私もスマホやパソコンの文字越しに行きすぎたお客さんの言動にさらされることはある。時に苛烈な内容で、怒涛と表したくなるほどの数を浴びることがあり、それは「実際に経験したことのある人でないとわからない」と言えるほどには、なかなかしんどいものだ。心身に不調をきたすこともじゅうぶんあると思っている。
とにかく難しいのは、商売する側の人の心の底に「お客様は神様ではない」ときっぱり断定できない、勤務に誠実な自分がいることだろう。お客様は神様ですと思って真摯に仕事をしようとすればするほど、対価を払ってくれるお客さんの存在をぞんざいに扱うことはできなくなる。だからどうしても「私は神様です」と自称する神様に対して、毅然とした態度をとったり、神様か神様でないかの線を引くことに躊躇してしまうのだ。お客様は神様ではないとわかってはいるけど、私を選んでくれたお客様は神様のように尊いと思う瞬間は、宣伝の仕事をしていてもたびたび訪れる。
親孝行の資格(ぽとぽと 著)
金を払う者がいちばんえらい。
「お客様は神様です」と自称しながら、行きすぎた言動を繰り返す人の根拠は、突きつめればこれだろう。そしてこの根拠は、買う側も売る側も、金を払う者がいちばんえらいという同意をゆっくりと築き上げてきた結果なのだ。私だって、金を払う者がいちばんえらいと主張する人に明瞭な反論ができない。そうはいっても、そんな単純で品のない関係で社会も生活も成り立ってはいないよ、と小声でもごもごするだけだ。
だからこのマンガのように、金銭面でサポートしてきた方の親にだけ親孝行したいという子の意見が出てくるのも無理はない気がしてくる。なかなかに悲しい話ではあるけど、それほど金を払う者がいちばんえらいという前提はわかりやすくて強固なのだろう。
私も金を払う側をクライアントと呼び、金を払う者を最上にすえたヒエラルキーを形成する場所で働いてきたから、数々の無茶を目にした。本来はモノ・サービスやアイデアをお金と対等に交換する場でしかないビジネスにおいても、いともたやすくクライアントは神様でが成立してしまうのだ。
三波春夫さんが言ったような「お客様は神様です」本来の意味に立ち返れとまでは言わないけど、ほんとうの神様なら、金を払ったかどうかで私たちを選別することはないよね、とつい思うことはある。お客様は神様のようにありがたいけど、神様の領分にはいないのだ。

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