

みんなだいじょうぶだろうか、@SHARP_JPです。せめて今日より明日がマシな日になれと願うのもはばかられる毎日で、つい暗澹たる気持ちになるけれど、それでも人類はジリジリと進歩しているのだという楽観にすがって、眠りに就く夜がある。
われわれは歴史を学ぶということができるから、人類が有史以来、発見や発明、工夫や努力を累々と積み重ねて、現代があるということを知っている。さまざまな病気や災害だって、どうにかこうにか克服してきた。世界は良い方向に向かっているし、人は進歩し続ける。いまを生きる私だって、そのエスカレーターに乗れているはずだと信じてやまない。人類万歳である。
人類は進歩し続けると信じてやまない私だが、そうは言っても不安に駆られる時もある。暗いニュースに触れた時、公正さに欠けた政治や企業を見た時、苛烈な言葉を放つSNSに遭遇した時。私は、ほんとうに人類は進歩しているのだろうかと、少し不安になってしまう。
そしてもうひとつ、私が不安になる時がある。たとえば朝に服を着替えようと、シャツのボタンに手をかけた時。私はふと「なんでわれわれはボタンを発見するのにここまで時間がかかったのか」と気になってしまうのだ。「人間は着実に進歩している」と信じてはいるのだが「そうはいっても」と考えこんでしまう瞬間である。
なぜ洋装が普及するまで、私たちはボタンのような仕組みを衣服に発見しないまま、着物という装いを続けていたのか。どうにも腑に落ちない気持ちになるのだ。少し調べると、江戸時代中期の書籍にはボタンについての記載があるようで、その頃にはおそらく庶民も、ボタンの存在を認識していたのだろう。
それにしても。それにしてもである。そこに至るまでに、あまりにも長い時間が流れていないか。人類は着々と進歩しているといっても、大きな便利や生活の向上につながる発明が、案外発見されることなく、ぼんやり時が過ぎゆくこともあるのかもしれない。もしそうなら人類の進歩も、深い谷間のような長い長い停滞期間があって、私の今生がその谷間にあたることもじゅうぶんありえることだろう。ちょっと損した気分になってくる。
とんとんのマンガ 第4話 でんわ(とんとん 著)
そんなところでこのマンガを目にし、私は思い直した。やっぱり人類は進歩を続けているのだ。人が人とコミュニケーションする、その通信手段だけでも、人類はいかに大きな発明と発見を繰り出し、たゆまぬ工夫と改善を続け、その利便と恩恵をみなで共有してきたか。電話ひとつとっても、この進化の遂げようである。
ここを読むみなさんの多くが、子どもがジャスチャーする複数のコミュニケーションを実際に手にし、生きてきたにちがいない。われわれが生きる時代はたぶん、進歩の谷間ではない。ましてやここで描かれるような、コミュニケーションの進歩をあらかじめ織り込んで大きくなる子どもの未来を考えてみてほしい。たぶん進歩はまだまだ止まらないのだろう。
ならば現代は、谷間どころか山の途中だ。いまは、今日より明日がよくなる真っ最中なのかもしれない。だったらやっぱり、人類万歳。この子の未来に幸あれ。

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