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シャープさんさんの作品:そっとしておく

基本ほっといてほしい、 @SHARP_JP です。ここで言うことでもないけど、私は月一でお悩み相談の連載を持っている。こことは別の場所である。悩み相談といっても、必ずしも解決を目指さなくともよい前提なので、方法や交渉を探るわけではない。どちらかというと悩み自体を肯定したり、相談者さんのモヤモヤをトレースするように私も悩むだけ悩むといった感じで、あまり深刻になりすぎることもなく、穏やかに続いている。

 

ただやっぱり、引きずるお悩みという回があるにはあって、先月の相談がそうだった。妻を亡くした友人を飲みに誘ったはいいものの何を話せばよいかという悩みだった。私の回答の大意は、喪失の悲しみは時間でしか解決できない、である。会ってそのことを話そうが話すまいが、結局は本人の静かな時間でもってしか、その悲しみを癒すことはできないのではないか、という考えを書いた。

 

その回答には、概ねいまも悔恨はない。残酷なまでに、時間にしか解決できない悩みや痛みはある。逆説的に私は、それを可能にする時間と記憶という存在に、偉大ささえ感じている。引っかかっているのは、方法ではないのだ。回答後も私の中に残り続けているのは、悲しいことがあった友人をそっとしておかなかった、相談者さんの「おせっかいさ」である。

 

友人を「よかったら飲みに行こう」と誘う、優しい勇気を私はもっと賞賛すべきだったのではないか。その優しいおせっかいに、解決を放棄したお悩み相談と称しながら、きちんと正対できなかった私をちくちくと悔いている。

 

雨上がり、夜明け(ヘケメデ 著)

 

私たちは、時間が解決してくれることを知っている。時間が解決してくれた経験を重ねた人も多いだろう。だから私たちは容易に、おどろくほど容易に、他人の痛みや悩みを時間に丸投げすることがある。止まない雨はないとか、明けない夜はないという言葉は真実ゆえに多用されてきたと同時に、なにもしない言い訳として、あるいは寄り添いを切り上げるきっかけとして、便利に濫用されてきた側面もあるにちがいない。

 

当たり前のことだが、時間が解決するには時間がかかるのだ。過ぎゆく時間をどうやり過ごすかは、当事者にとって本当は、もうひとつの切実な問題なのだと思う。そこの切実さに対して、相談者さんは行動をした。「そっとしておく」が最大公約数の解かもしれない時に、それでもなお、おせっかいを焼こうとしたのである。私はそこに、友人の意味を問い続けている。

 

ましてや、おせっかいが焼きにくい時代なのだ。他人を傷つけることを過度に恐れたり、他者との距離を必要以上に配慮することが、現代人の作法とも感じられる世の中である。そのこと自体が悪いわけではない。悪いわけではないけど、「そっとしておく」がやさしさよりも、失敗しないためのクレバーな一択と化してしまった気もしてくる。そんな時代におけるおせっかいを、私は先月からずっと考えている。

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