毎度あり、 @SHARP_JP です。生まれてこのかた、お金が苦手である。まずもって稼ぐのが苦手だ。いまだかつて使いきれないほどのお金を持ったこともないし、こんなにもらっていいんですかと感嘆する金額を渡されたこともない。好きなのに、振り向いてもらうのは苦手。お金にモテない。モテたためしがない。ただしこれは私に限らず、多くの人がそうだと思う。
まず使いきれない金を持っているという人に、私は会ったことがない。使いきれない金を持っている人は使いきれない金を持っていることを言わない可能性は捨てきれないにしても、金は稼げば稼いだなりに金を使うべき地平が現れるから、いつまでたっても「足りない」が続くのだと思う。たぶんお金に「もう十分」という境地はないのだろう。これはもちろん、使いきれない金を持ったことのない私の、ただの想像だけど。
一方で、毎月もらうというかたちで手にする金も、労働の実感と金額の間にはいつも「足りない」不満が横たわる。ひとりひとりの労働の成果の総和が企業の益であるのなら、各人の労働の成果とまったく同額の還元を全社員に行ったとたん、その企業は立ち行かなくなるだろう。企業はひとりひとりの労働をピンハネすることでしか成立できないのだし、だから給料とは常に「なんか少ない」という金額でしか支払われないのだ。給料はいつだって、われわれの期待を下回る。なんとも切ない話ではある。
そういう金への希求とは別に、私にはさらなる苦手意識がある。金の話をすることが苦手なのだ。自分の給料や貯蓄の話をするのはもちろん、他人に同様の質問をすることも、あるいは自分の仕事に関するギャラを切り出すことも、だれかの報酬が記載された見積もりを見る時でさえ、心臓がドキドキする。とにかく私は金の話題を口にすることにためらいがある。私がお金を苦手に思う理由の大部分がここにある。
その原因は容易に思い当たる。なんでも世代の話にしてしまうことを私は好まないけれど、それでも私は「金の話をするのは無粋」という時代のマナー講師に教えられてきた世代だし、世界には「金に換えられない価値がある」という文化圏ですくすく育ってきた。そうやって学んだことは、いまも半分は正しくて、いまや半分はそうでもなかったと思っている。現在の私は、存在や権利の正当な証としてお金が機能することも経験したし、お金のやりとりが介在しないと失礼な域が仕事や創作にあることも知っている。そういう本質を知った上でなお、私はお金の話をするのが苦手だ。昔の癖が抜けなくて、どうにも緊張してしまう。
誰だってそう(オムスビ 著)
でもここ最近は「お金の話をすること」に対する世間の態度がずいぶん変化したな、とは感じている。私がなんらかの依頼をもらう時はだいたいいつも、お金はこれくらいと提示されているし、私もなにかを依頼をする時は、初手でお金の目処を書くようにしている。会社に新しく入ってきた比較的若い人たちが、飲み会なんかであっけらかんと給料や貯金の話をする様子もめずらしくない。お金に対する態度表明に後ろめたさがなくなって、自然な自信がともなうことは、とてもいいことだと思う。
このマンガで作者がひとりごちているように、お金の話をすることは自分の幸福追求を表明しているにすぎないのだ。だれかから搾取しようとか、だれかの邪魔をしようとしているわけではない。そうやってお金の話をする忌避感が、社会から払拭されていくのはとても歓迎されるべきことだと思う。その中で私の苦手意識も、時間をかけて解消されていくんだろうなと思う。
あとは、われわれの期待をいつも下回る給料だけが残された問題ではないか。そこはなんとかしてほしいと、自分の苦手意識をおして、ここに声を大にする次第である。
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