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シャープさんさんの作品:具体的に言ってください

気づいたら存在が抽象化しがち、 @SHARP_JP です。生きてると「具体的に話せ」と言われることがある。プレゼン術といったノウハウを教える場なんかで、よくそうやって指導される印象だ。私も実際、「もう少し具体的に言ってほしかった」と指摘されるプレゼンをやったことがある。そのたびに「もう少し具体的に」がどこのなにを指すのか、もう少し具体的に言ってほしかったと思っている。

 

もちろんおっしゃりたいことはわかる。ふわふわしたフレーズや耳に心地よい美辞麗句ではなく、もっとビシッと断言するとか、だれにとっても厳密な物差しでもって、冷徹に事を進めるのがビジネスというものなのだ。だから「約16%スピードアップ」「奥行8.2cmコンパクト化」「前モデルより350円コストダウン」といった数字を、もっともらしく私も強調する。その数値こそ、私の話が具体的である具体的な証左なのだ。

 

数字や数値は、公正に機能する。だれがどこから見ても、同じモノや量を指し示す。だから数字や数値を語れば「具体的に言う」が達成されると思いがちだけど、そこを私はちょっと疑っている。なぜなら想像力が貧困な私のような人間は、なかなかイメージが喚起されないのだ。だからいつも数字に実感が伴わない。たぶん数字だけを語ろうとする限り、その話は具体ではあるが具体的にはなりえないのだろう。数字や数値だけでは「具体的に言う」にはまだまだ遠いと思っている。

 

では具体が具体的になるにはいったい何が必要かというと、おそらく「例え」だ。毎月の節電量を電気代に換算するように、サブスクや保険料金の節約を年間の積立で表すように、われわれは正確な数字をできるだけ、大きく見渡せる形に置き換えようとする。その上で見渡せる数字をさらに例えようとする。「こちらのサービスに切り替えれば毎月こんなにお得」の勧誘より、その直後の「浮いたお金で10年後に田舎の別荘が買えます」という例え話が印象に残ることはよくあるはずだ。

 

乱暴に言えば、例えるとは少し抽象化することである。具体が具体的になるには具体と抽象をいったりきたりする必要があるなんて、あらためて考えると皮肉でおもしろい現象だけど、私たちの思考はそういうふうにできているのだろう。とはいえすぐ話が抽象的になり、話がそのまま抽象に漂い続けるのがいいわけではない。それこそ「もう少し具体的に言ってほしい」話である。つまりは私のことである。私の話は抽象から帰ってこないから、いつも具体のままだ。

 

野球例えコンバーター(こーん 著)

 

それにしても「例え」は重要だ。例え方ひとつで具体性が変わり、伝わり方が激変する。日々バズるツイートを見ていれば、おもしろエピソードの描写だけでなく、それをどう例えるかが話題の成否を担うことに気づくだろう。あるいは話が達者な人は例え方が的確なことは、テレビやネットで人を笑わせる人気者を見ればよくわかる。

 

だからといって例えれば済むわけではない。例えるという行為は、自分のためにするのではない。相手の頭の中を具体的にするために、奉仕的にする行為なのだ。その例えのすれ違いは、このマンガで痛いほど描かれているし、身に覚えがある人もいるかもしれない。

 

往々にして、私たちは自分の理解を促すために例えをしてしまう。あるいは自分を演出する一環として、例えを話に混ぜ込んでしまう。その例え方に例えば「自分を賢く見せたい」という自意識が滲むことはよくある。自戒をこめて言うけど、例えにも細心の注意が必要だ。だから例えは自分のためでなく相手のためを徹底できれば、ここであげられた「おじさんの野球例え」は回避できるはずなのだ。相手がイメージできない例えは、例えではない。例えは具体を相手の脳内で具体的にするために例えるのだ。

 

ちなみに私は、すぐ自動車のラインアップで例える会社の偉い人と、なんでもガンダムで例えるおじさんがちょっと苦手です。

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