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シャープさんさんの作品:お店がなくなる

ぼんやり徘徊します、@SHARP_JP です。散歩していると、閉めてしまったお店が目につくようになった。目につくと言ったが、たいていそれはあとから「お店がない」と知覚される。なにせ私はぼんやり歩くので、まずは「なんかいつもとちがう」といった、茫漠たる違和感が心の中に広がる。


違和感は穴のようなイメージだ。窓ひとつか、ふたつ分くらいの穴。ぽっかり空いた穴が視界を過ぎるような違和感。その違和感が見過ごせなくなるとようやく私は足を止め、あるいは踵を返し、景色を観察する。


するといつもの場所にあったサインがない。空にせり出したテナント看板が空白になっている。道路から見上げた2階の窓越しに気配が消えた。通りがかりのウィンドウからモノが消え、すっかり奥まで見通せる。違和感はかつてそこにあった質量が消えたことを示していたのだ。


いったん知覚してしまえば、「ないこと」は強烈に存在感を増す。建物の中にあったはずのなにかがないことは、がらんどうというかたちで景色に浮かび上がる。そして往々にして、お店がなくなっても建物は残るから、そこには不在という状態が提示され続ける。その場所を馴染み深く通りがかる者にとっては、その日から「ないことがある」と確認する日々がはじまるのだ。


むかしから私は、建物が取り壊されて更地になったとたん、かつての家やビルの姿を思い出せなくなる。建て替わってしまうともう、記憶を探ることすら困難だ。人間は思った以上に視覚に依存しているから、建物がなくなれば明確に景色は変わり、「ない」という感覚までも景色から消してしまうのかもしれない。だがお店がなくなることは、それと少しちがう。お店はなくなっても、側(がわ)は残り続けるから、いつまでも中の空洞を感じ続けてしまう。「ないこと」があり続けてしまうのだ。


もしそのお店が何度も通った場所なら、空洞の中に思い出をさらに抱えることになる。ないという知覚に手触りまでが加わるから、喪失感はずっと大きくなるだろう。それは当たり前のことだけど、やっぱりさみしい。



背景(kenchan 著)



このマンガでは、地元のお店がなくなった(のを知覚した)ことが描かれている。地元というからには、子どもが大人になるまでを過ごした、作者の記憶にあふれる場所なのだろう。記憶にあふれる場所だからこそ、いつまでもかわらずそこにあるという意識は増すはずだ。そしてその意識は、時に「そこにあるのが当たり前」という身勝手さを含んでしまう。だからお店がなくなったと知って、作者は心がちくりと痛んだ。


それにしてもいまはだれもが、お店がなくなったという事実に直面すると、その理由に思い当たる世の中だ。数年前なら私たちは、お店がなくなるのはそのお店に固有の理由があると考えていた。端的に言えば、まずいとか接客が悪いとか、そういう理由だ。しかしいまはちがう。お店がつぶれて真っ先に浮かぶ理由は、漂う災厄であり、社会の歯がゆいシステムであり、すっかり変わってしまったわれわれの生活だ。


あの店がなくなったのは、あの店のせいではない。お店がなくなるのを目にするたびに、たとえそこに縁もゆかりもなくとも、私は心がちくりと痛むようになってしまった。


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