172888 654 654 false 83COp9pjC85PXqwx19lFmId2xm1v4UnY fd4a8c6f8d9db4ddeb901d47d195d5f2 名付けようがない感情 0 0 7 false
シャープさんさんの作品:名付けようがない感情

だいたいフラット情緒です、 @SHARP_JP です。名付けようがない感情に襲われることはあるだろうか。泣きながら笑ったりだとか、悲しいけど嬉しいだとか、騒音と静寂が同時に起こるような、引き裂かれながら結われるような、名状しがたい心の状態を想像してほしい。笑いながら怒る人という、よく知られた形態模写の芸が存在するとおり、両極端の感情を同時に発露する人がいれば、われわれはその人を狂人の類だと思うだろう。なので私たちが一定の大人であるなら、そんなアンビバレントな感情はない、と答えるかもしれない。

 

けれど小さな子どもが自分の感情を持て余し、なおその状態を語る言葉を持ち合わせていないせいで、収縮しながら爆発するような、あるいは爆発しながら収縮するような、なんとももどかしいふるまいを目にすると、名付けようがない感情はたしかにあるんだな、と確信させられる。よくよく思い出せば、悔しくて悲しいとか、照れくさいけどうれしいといった心の状態も、それをまだ言葉にできない頃の私たちにとって、きっと名付けようがなかった感情なのだ。

 

喜怒哀楽という便利な言葉を知ったせいで、私たちは自分や他人の感情をすぐ4つに分類してしまう。しかし「純粋なる怒」や「混じりっけなしの喜」なんてものがこの世にないことを経験する過程こそ、教養の証とも言えるわけで、喜怒哀楽の四象限がいかに雑かもまた、われわれはよく知っているのだと思う。

 

落ち着いて自分を覗き込めば、私たちの喜怒哀楽はそれらが混じりあってグラデーションを描いている。便宜上私たちはそのグラデーションに目をつぶり、無理やり4つの名前を割り振ってはいるけど、本来異なる成分を細やかに見つめていけば、私たちはいまも名付けようがない感情に満ちているのだろう。それはCMYKの組み合わせで、膨大な色が存在することに似ている。

 

名付けようがない感情を名付けようがない感情として見つめることはたぶん悪いことではない。加工食品のパッケージを裏返し、成分量の順に並ぶ表示を見てなんとなく納得を得るように、自分の感情の成分を冷静に見つめることは落ち着きの第一歩になりえるはずだ。そしてなにより、私たちは名付けようがない感情をていねいに描こうとする作品に感銘を受けてきた。名付けようのなさとは豊かさと言い換えてもいい、保留する精神の営みではないかと思う。

 

ユニオン第4話(新川ネリ 著)

 

思えば「人が人に寄せる好意」という感情も、長らく性愛という物差しだけでもって、わりと雑に分類されてきたのかもしれない。好きという感情も、ほんとうは性愛という成分のみで構成されるわけではない。相手を好きと思う下地にはさまざまな眼差しがグラデーションをなし、名付けようがない好意は現実の私たちの生活にたくさん存在している。

 

名付けようのない好きを、このマンガはていねいに描いている。「恋とか友情とかが追いつけない、憧れという感情が好きの一番近くにある」という青年の独白に、いまなら「推し」という感情を重ねて共感を寄せる人はおどろくほど多いのではないか。

 

つまりは「推し」という言葉の普及が、人が人に寄せる好意という感情の解像度を上げたのだと思う。それまで名付けようがなかった感情に、すんなり名前が付く時はたしかにある。そうやってさいきん生まれた「推し」という言葉が、感情のグラデーションをやさしく包含する意味の広さを持っていることに、私はちょっと豊かな気持ちになる。

面白かったら応援!

2023/11/23 コミチ オリジナル
作品が気に入ったら
もっと作品を描いてもらえるよう作者を応援しよう!