

私はロボットではありません、 @SHARP_JP です。仕事柄、じゃなくとも、AIという言葉を嫌というほど見聞きする。社会にAIが普及する前に、私たちの脳内にそれぞれ勝手なAIがもう普及してしまったようだ。仕事をしているとAIを使えと言われたと思ったらAIに備えろと警鐘が鳴る。どっちやねんと苦笑いして手にしたスマホには、AIのうっかり事例やおもしろ絵画が溢れて、つい吹き出してしまうこともある。
たしかAIって社会を構造ごと変えるような、キラキラした未来っぽいものだと教えられたはずだけど、それを体験する前になんだか卑近な、小ネタのような存在になってしまった。これまでモノゴトの普及と消費は並行して進むものだと疑わなかったけど、最近は消費が普及を先回りするようなことが多くて、私はつい立ち尽くしてしまう。AIに限ってはいまだ普及に至る段階にすらなくて、実はもっと長いスパンの事象なのだろうか。とか考えていると、今度はメタバースメタバースと呪文のように唱える人が出てきて、ちょっとうんざりする。
なんでも早くに手をつけた者が先行者として得をする、という法則はわかる。名前にマーケティングや広告とつく業界は、むかしからほとんどそれの事例だけで成立している。あるいはSNSの規模が個人の名刺を担保するようになった世界で、早い者勝ちはますます加速したのだろう。それはよくわかる。よくわかるんだけど、これだけ多くの人が、いっせいに早い者勝ちレースに参戦するようになった今、分け前も当然目減りしていると思うのだ。普及を消費(ビジネスと言い換えてもいい)が平気で追い抜く今、早い者勝ちもそろそろ限界ではないか。
なにが言いたいかというと、よく聞かれるけどTikTokやってません、ということである。
「仕事探しはスタンバイ」第4話(もりた毬太 著)
思えば私は、職場に人間じゃないモノが働いているという状況を、わりと早い時期から見てきたのかもしれない。職場が工場に直結している家電メーカーは、AIだとかなんだとか言うずっと前から、無骨なロボットがもくもくと製造現場で働いていた。そして私はその様子をたびたび目にしてきた。
もちろんこのマンガのように、人間がひとりであとはロボットといった、ヒューマンとロボットが逆転した職場は経験がない。とはいえ人間は「働く必要がなくなってもなお働きたい」かどうかは別にして、人間より非人間が多く働く職場は、すでにたくさんありそうだと思える現在ではある。
そして私も、自分の仕事を積極的にAIに乗っ取られる試みを5, 6年前から数年おきにやっている。毎回、私じゃなくてもぜんぜんいいな、と思う。そのうちこっそりAIと入れ替わってもバレないならもういっそ今、という気分にすらなる。乗っ取りを重ねるごとに、私の口癖というかテキスト癖のようなものがツイート越しに感じられるのだ。私が私でなくていい時代は、もうすぐそこだと思う。
とはいえ私が「働く必要がなくなってもなお働きたい」私なのかは、いまいちよくわからない。生きるための金銭という意味では、いつでも私は労働から解放されたいと願っているけど、終わった後に打ち上げがしたくなるような労働にはまだ未練がある。たぶんその線引きでの割り切りがAIと労働の転換点だと思うのだが、そんな悠長なことを言っていると、私は周囲のAIから嗤われるのかもしれない。だから次は、AIと打ち上げをしてみたい。

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