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シャープさんさんの作品:めんどくさい

あーめんどくさい、 @SHARP_JP です。私はたいていのモノゴトがめんどくさい。めんどくさくないモノが思いつかないほど、だいたいのコトがめんどくさい。この文章を書くのもすでにめんどくさい。これを書くためにコーヒーを淹れるのもめんどくさかった。その前にふとんから出るのもひとしきりめんどくさかった。そういえば昨晩、めんどくさいなと思いながら眠りについたんだった。だから目が覚めた時からもう、めんどくさかったのだ。このめんどくささは、これを書き終わるまで続く。

 

やれば終わる、とされていることほどめんどくさいのだ。そうじも、洗濯も、皿洗いも、歯磨きも、着替えも、やれば終わる。ただいくばくかの時間を費やして身体を動かせば終わるのだ。仕事だってそうだろう。強いられてやることはほとんど、逡巡することなく淡々とこなせば、思っていた以上にはやく終わる。やれと積まれた仕事なんて個別に見れば、やれば終わるモノしかないのだ。

 

しかし私は、やれば終わることこそめんどくさい。むしろやれば終わるからこそめんどくさいと思っている。やれば終わるなら、別にいまやらなくてもよい。いまはやりたくなくて、そして当面やりたくないのだ。私は終わりを保証されればされるほど、ゴールから目を逸らし、あまのじゃくを発動する。そうやってやれば終わることに限って、やるかやらないかの選択を先延ばしにした結果、ずっとめんどくささを感じ続けるのだ。

 

一方でやっても終わらないことには、なんのめんどくささも感じず、嬉々として打ち込むからタチが悪い。いま読まなくてもいい本ほどいま読むし、いま聴かなくていい音楽を、いま聴いてしまう。いま食べなくていいのにいま食べる。いま調べなくてもいいことほど、優先的に研究する。終わりのないゲームを、終わりがないと知りながらやる。なぜ私はやっても終わらないことに、こうも時間を費やすのか。

 

もちろんわかっている。やれば終わるならさっさとやってしまおうと考える人こそ、優れた人なのだ。やれば終わる、をスローガンにモノゴトをこなす人は真の実務家である。そういう人がわれわれの社会に、政治に、行政に、そして私のそばに必要なのだ。やれば終わるが決意の呪文ではなく、保留の言い訳になる私のような人間は、かくしてめんどくさいに包囲され、いつまでたってもなにも終わらない。無為とはこのことだと思う。

 

お風呂めんどくさい(中恭 著)

 

やれば終わるの際たるものがお風呂ではないか。入れば終わる。入れば、ほんの10分後には入浴が終わっているのだ。むしろ清々しささえ伴って。こんなにシンプルで、実益を伴う、やれば終わるものもない。

 

しかし私を含めた無為側の人々は、だからこそめんどくさいのだ、と主張するだろう。「入れば終わるなら、いま入らなくてもいいんじゃない?」と詭弁を弄するのだ。めんどくささが極まると、風呂は入るだけではなく、その前に風呂を洗い、着替えとタオルを用意し、服を脱ぐといった、めんどくささの関門をいくつ擁しているか、などと続けるかもしれない。

 

さっさと入れよ、めんどくさい人だな、と自分でも思う。あーお風呂めんどくさい。

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