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シャープさんさんの作品:それって運かも

おーい飲みに行こうぜー、 @SHARP_JP です。あれこれ考えてしまう性質のわりに、人生のほとんどは運だと思っている。私がいまこうしてあるのも、ほとんどは運だ。過去を振り返ると、その時々でそうなった根拠を述べたくもなるけど、結局はやはり、その時々の運に左右されてきたのだと思う。

 

運に理由を付けたくなると、行き着く先は宗教しかないと思うのだが、あいにく私はどちらかというと無宗教な人間である。自分の運に使命や裏付けがあればいいと希望はするけど、ほんとうはもっともらしい理由なんてないのだろうなと、うすうす感じている。私は私になるべくしてなったが、なるべくしてなったのは必然ではなく、たぶん、行きがかり上の成果だ。

 

人生なんて運だと言ってしまうと、冷笑的というか虚無的というか、まるで私が、生きるすべてに意味などないとうそぶいてまわる人間みたいだが、そういうわけでもない。偶然としか言いようのない経緯で至った場所で、寝食を忘れるように打ち込んだこともあるし、努力と呼べるようなまとまった時間を、ある物事に費やしたこともある。運だから身を任せるのではなく、偶然に転がったその場所をじっと観察し、おもしろさを見つけたり、知恵や勇気を振り絞ることこそ、むしろ生きる醍醐味だとすら考えている。

 

とはいえ誰しも、人生で主体的に選べたことなんて、ほとんどないのではないか。どこで生まれ、育ち、どんな場所に所属するか、すべてを自分の意思と判断でもって選んできたと言える人はいないと思う。学校や仕事だって、振り返ってみれば自分で勝ち取ったような気がしてくるけど、実際はそうでもないだろう。だいたい学校や会社に入ったって、どのクラスに分けられるか、どの部署に配属されるかは、文字通りの受動態だ。友人や恋人だって、出会うことからしかはじまれないのだから、そこには運と偶然が横たわっている。私たちが掴んだり競ったりして見晴らせる場所は、氷山の一角なのだ。

 

だから私はどうしても、失敗した人を笑えない。それは自己責任だろうとは、やはり口にすることができない。失敗した人や損な役割をひきあてた人を、それが気にくわない人ならざまあみろと思うところはあっても、それでも自業自得だとは断じれないのだ。おそらく私は、運がいい方だと思う。でも運が悪い私も、ありありと想像がつく。たいていはただそこに運があり、運に左右されただけなのだ。あなたは私だったかもしれないし、私はいつでもあなただったかもしれない。

 

中島くんになりたい(吉野 著)

 

マンガ中盤に出てくる主人公の兄に、私は賛同する。カレー作りが趣味なところではない。人の失敗を自己責任で片付けることはできないと、はっきり表明する点が、である。その兄は続けて、不思議な話でもって弟を諭そうとする。サザエさんの中島くんは人を救っているのではないか、と主張するのだ。そういえば中島くんは、なんの前置きも文脈もなしに、かつおをただ野球に誘う存在だ。

 

自分ではどうしようもない運に打ちひしがれている人には、運の外からやってくる他者が必要なのかもしれない。運は運でしかないなら、運の枠から抜け出すのが対抗手段の第一歩なのだろう。そしてそのためには、脈絡なく運の外から手を差し出す、別の運が必要なのだ。有無を言わさず野球に誘う中島くんは、運に搦め捕られた人を救う、運の外からやってくる使者ではないか。

 

兄の話に諭されて、マンガの主人公は、運悪くつまづいた友だちを運の外へ連れ出そうとする。そして彼は、ぎこちないながらも中島くんになった。可能な限り、私もだれかの中島くんでありたい。それもどうせ運だろうと思いながら、それでも私は、運の外からやってくる中島くんになりたい。

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2023/4/13 コミチ オリジナル
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