

いま人生のどこらへん? @SHARP_JP です。「昔さあ…」と話しはじめて、急に心配になる時がある。いまから私は20年前のできごとを「昔」というくくりで話をはじめようとしているけど、はたしてその時間認識は正しいのだろうか、と不安になるのだ。見た感じ、話す相手は20年前には生まれてもなさそうだったり、生まれていても物心がないのではという人に、私が「昔」と言ってもそれは「無」と言っているに等しいのではないかと思えてきて、つい口ごもってしまう。
みんな、現在からどれくらい遡れば、その過去を「昔」と表するのだろうか。もちろん教科書に載るような事柄は、歴史としての昔という容れ物に収納して、すれ違いなく語れると思うけれど、個人の過去は自分がどれだけ生きてきたかに依存するから、「昔」は容易に伸び縮みしてしまう。言語を獲得しつつある幼児が足りない言葉を補うように「昨日より前」を概念として「昔」と称したり、10年なんてあっという間だと諭す老人が30年前のことをようやく「昔」と呼んだりする。
「昔さあ」と話しはじめられ、挙げられた事柄が「それは私にとっての最近だ」と愕然とすることこそ、加齢の症状かもしれない。せめて私はそういう混乱を招かないようにしようと、できるだけ正確に過去を刻むため、元号を持ち出して困惑を加速させることもある。生まれてしまうと万人に等しいペースで時間は流れるのに、振り返るととたんに時間の長さは濃淡を描き、目盛が狂う。過去をいきいきと語るのはほんとうに難しいことだと思う。
時をかけるゲーマー(遊佐いつか 著)
なにが言いたいかというと「プレステ2って24年前だったのか」である。そりゃあ歳もとるわということである。懐かしいという感慨さえ湧かなくなってきたら、いよいよなのかもしれない。

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