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シャープさんさんの作品:人称のギャップ問題

人称は使い分けます、@SHARP_JPです。自分のことをどう呼ぶか。一人称の多様さは日本語の特長のひとつだとよく言われる。私も相手や場所によって、私、ぼく、オレと自分の称し方は変化する。書く場合はさらに、私かわたし、僕かぼく、俺かオレかと、漢字を開くか閉じるかも都度判断している。


ここに方言によるバリエーションや、ネットでのアバター的自称(ワイとか我とか)を加えると、一人称はさらなる多様さを見せるだろう。外国語話者なら、まったくもって複雑な構造だと感じるだろうが、日本語を母語とする私たちにとってはさほど難しいことではない。


相手に与える印象を考慮して、一人称は選ばれる。言い換えれば、選ばれた一人称には、自分がどう見られたいかが反映されている。その願望が叶うかはともかく、自分が選んだ自称なのだから世話はない。問題は相手をどう呼ぶかだ。つまりは二人称と三人称の問題である。


見られたい自分を演出する一人称だけで、これほど選択肢があるのだから、話す相手やそこにいない人のことをどう呼ぶかにもまた、膨大な分岐がある。あなたとお前ではぜんぜん印象が違うし、彼/彼女とアイツではおのずと会話の種類も想像がつくだろう。


日本語では、選ぶ(あるいは選ばない)人称だけで、その人の価値観や両者の上下関係すら容易に示されてしまう。逆に言えば、二人称や三人称の選択を間違うことは、当人の価値観や両者の距離感を土足で踏み抜く、危なっかしい行為だ。ことそれが仕事上のやりとりとなると、なおさら繊細な問題となる。


たとえば私は「会話の相手の配偶者をどう呼ぶか」問題にしばしば直面する。「私の夫(あるいは旦那、主人、亭主、相方)がシャープの洗濯機を選んでくれました」というリプライに、「配偶者さんにもよろしくお伝えください」と添える場合の「配偶者の適切な呼称」が私にはわからないのだ。


ご想像のとおり、逆のパターンはもっと複雑である。妻、嫁、奥さん、女房、家内、かみさん、あげく愚妻なんていう呼称もある。それぞれを選ぶ人の価値観に抵触しない、ニュートラルな呼称を選ぶのは至難の技だ。お連れ合いという言い方があるにはあるが、どうも年月を重ねた老齢な方を連想させてしまいそうで、私は使うのに躊躇してしまう。おそらく現在の日本語に、相手の配偶者を指し示す、最適でニュートラルな三人称はないと思う。


ごくラフな4コマ置き場(ヘケメデ 著)


そうだ、配偶者の三人称はまだあった。このマンガで提示される「細君」だ。ただしここでは、ダイエットして痩せた妻自身が、自分を讃えるように「細君」と呼べと夫に命ずるわけで、ほほえましい光景として描かれる。とはいえ、配偶者が呼んでほしい三人称を自分で決められるというのは、いまの社会ではなかなかの理想ではないか。


皮肉なことに、日本語の人称の多様さが、われわれが生きる社会の多様性のなさをうきぼりにすることがある。さまざまな配偶者の三人称を前に返事を逡巡するたびに、私は「いたるところにジェンダーギャップの最前線はあるのだな」と社会をちらりと振り返る。とかく三人称は、私にとって気が抜けない存在なのだ。



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2021/6/17 コミチ オリジナル
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